「人間力」あふれる社会人はなぜ孤独死するのか

碑文谷創「セカンドステージ冠婚葬祭講座:・<葬祭編:第51回>老老介護の次は孤独死、中高年の男性に増加中」『セカンドステージ マガジン』 日経BP社(2009.2.20)
http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/manabi/ceremony_090220_2.html

社会人は、学生に対してコミュニケーション能力が足りないだとか、人間関係が狭いとか言う。どうやら、企業に勤める社会人達は幅広い人脈とコミュニケーション能力を持っているらしい。

そんなベテランの社会人である中高年男性が孤独死とはいったいどういうことなのだ。

簡単に言ってしまえばこういうことだ。

学生並みに、社会人の世間も狭かった。

 そんなけのこと。なおかつ、それに依存しすぎている。若者の携帯電話コミュニティみたいなものだ。

 オフ会なんか行って社会人達に参加動機を聞くと面白い。会社や同じ業界の中にしかコミュニケーションがなく、他の人と出会うために来たというのだ。なんてこったい。インターカレッジサークルに集まる学生と同じじゃねーか。

 そんなけ社会人は狭いコミュニティで暮らしていて「ビジネスライク」という身内にだけ通じるコミュニケーション方法を取っている。

 もちろん本人だけのせいではないが、日本の男性社会人は家事への参加が少ないし、地域コミュニティに対しても積極的ではない(自営業はともかくサラリーマンは)。

 2ちゃん語(「2ちゃんねる」という巨大電子掲示板の中だけで使われる特有の単語)だけで話しているねらー(「2ちゃんねる」ユーザー)と彼らはだいたい変わらないんじゃないか。

 そして、自分達のコミュニケーションのとり方を普遍的な「人間力」だと信じこんでいる。馬鹿な学生とかわりゃしない。でも学生と違って彼らは気づくチャンスはほとんどない。残念ながら。そして、孤独死する。

「コミュニケーション能力」という慣習についての一考察

 研究者を悩ませてきた謎の存在に「コミュニケーション能力」がある。ようやくその正体少しずつが解明されてきた。

 別名「人間力」とも呼ばれてきた「コミュニケーション能力」は人類普遍のものではなくサラリーマン族特有の慣習であることが明らかになった。サラリーマン族は東アジア沖にある島々に生息しここ数十年に急速に人口を増やしている。詳しいことはまだわからないが、縦の年齢関係と横の同年代関係を非常に重視しそれに基づいて社会規範を構築しているようだ。

 サラリーマン族の成人儀礼は「シューカツ」と呼ばれる。「シューカツ」という儀礼を乗り越えた成人は「シャカイジン」と呼ばれ「カイシャ」と呼ばれる結社の構成員になるらしい。「カイシャ」という結社で成り立つ世界もしくは世界観を「シャカイ」と呼ぶようだ。

 もともとこの島々ではサラリーマン族はマジョリティではなく、島々の住民は総称して「ロウドウシャ」と呼ばれていたこともあった。近年、サラリーマン族の拡大によってサラリーマン族ではない人々もサラリーマン族中心社会の中で生きるための戦略として「シューカツ」を受ける者が増加している。

 もともと、サラリーマン族の成員「シャカイジン」としてふさわしいかをはかる「シューカツ」という儀礼であり、儀礼の中にはサラリーマン族らしさという基準はあった。しかし近年の「シューカツ」志願者の増加によりより厳格な基準を設けようとする動きが高まっている。

 よりサラリーマンらしい行動様式を内面化したものを「シャカイジン」として認めるというサラリーマン族ナショナリズムの中で生まれてきたものが「コミュニケーション能力」である。もともとは「ビジネスマンライク」と呼ばれてきたサラリーマン族の行動に関する秘伝であった。詳細はまだ不明だがこれを体得したもののみ内容がわかるというトートロジックなものだという。

 同じ島々に住むギャル族やヤンキー族は「コミュニケーション能力」と同様なものを持っており、比較的「シューカツ」に親しみがあるようだ。

 自由と民主主義を重んじる水平社会であるオタク族にとっては、極めて不利な状況になる。

 一部の心ある人々によって少数民族保護運動がなされているが、マジョリティのサラリーマン族は「コミュニケーション能力」は普遍であり、「シューカツ」に成功するかは自己責任であるという立場をまったく崩していない。

「キギョウヒミツ」という秘伝集の中にあるとされる「コミュニケーション能力」であり、結社の根幹に関わるとされる。しかし、研究者によって少しずつ解明していくこともこの社会にとって必要なのではないか